幸せ進行中

「ノスタルジーに中指たててファンタジーをはじめただけさ」

私は、ずっとノスタルジーに浸っていた。思春期はもっと子供のころを想って本気で涙を流していたし、高校や大学でも結局はまだ傷一つついてないころの自分を神聖視している節があったのだ。気持ち悪い。そんなんじゃ息の仕方を忘れるのも当然の成り行きじゃないか。楽だ。たぶん楽だからそうしていたんだ。わざと自分の首をしめて苦しい苦しいってあがいているのが健康的に努力するより楽だったんだと思う。あの頃はなぜか、自分は苦しまなければならないものとでも思っていた。悲劇のヒロインになりたい人とは私のことをいうのかもしれないが、私は演じている自分が嫌いだ。演じたくて演じてるわけじゃない。助けてつって誰も来なくても平気さ。 私は平気じゃない。強くなりたい。だけどもうつかれた。全部どうでもいい。どうとでもなれ。と思ってはいった大学である人たちと出会った。はじめは彼らのやさしさに驚かされることばかりだった。キラキラした目、悩んでいる姿、まっとうな怒り、温かさ。なにより今を生きている感じがした。嫉妬することもあった。だけどいままでみたことない人たちに囲まれているうち、少しずつ少しずつ心の氷が溶けていったんだと思う。古傷を肯定できそうになっていた。

ある時気づいた。この人たちのために自分を大切にしないといけないなって。以前から自分のこと大切にしようとしていたけど、難しかった。もうやめた、という意識に反して自分の体や無意識は生きたいと強く思っていて、そのはざまでわけわからくなってたのに気づいてちゃんとやろうと思っていたけどずっとさみしくて一人ではどうしようもなかった。

人のこと心配する人の気持ちがわかるようでわからなかったけれど、目の前で見続けて自分も心配されて、それは社交辞令とかいい人のポーズとってるんじゃなかった。

おこがましいことだけど、この人たちを守りたいと思った。助けられてるのは私のほうだった。強くなりたいとおもった。

ファンタジーを実現できるということを、私にはできなくても彼らとなら現実味のある、嘘のないファンタジーを実現させられるかもしれない。そのためならわたしはそこから身を引いたっていい。それでこの世にファンタジーが降り立ってくれるなら。